2019年7月19日金曜日

道徳の授業から

 昨日の3年生の道徳の授業では、相手の気持ちを考えることについて考えようと「言葉の向こうに」という作品を用いました。あらすじは、サッカー選手のファンサイトに書き込んだ相手と言い争ってしまった「私」が、他の人たちからの書き込みから大事なことに気づかされるというものです。「私」が気づいた大事なものとは何か、考えていきました。
 その大事なものとは、「ネットは誰が見ているかわからないこと」、「顔が見えないから口論が続いてしまうこと」、「文字だけでは、どう伝わるかわからないこと」、「思いが伝わりにくいこと」、「相手の立場を考えること」、「いろいろな人たちとつながっていること」、「冷静に判断すること」、「見た目の言葉にとらわれないこと」ではないかとの考えが出されました。 
 
 ぜひ、今日の授業で考えた大事なことを頭に入れて、ネットとも関わっていってほしいと思います。
 1年生の授業では、お互いに認め合うことについて考えようと、「自分だけ「余り」になってしまう・・・」という資料を用いました。中学2年生の女子生徒が、「調べ学習などで二人の組になるときに自分だけ余ったりすると、すごく恥ずかしくて寂しい気持ちになる」と相談したことを受けて、作家の重松清さんがご自身の経験を交えて答えた文章です。重松さんが中学2年生のときのお話しです。友達7人で遊園地に行くときに重松さんは、自分が余りの一人にならないように、いちばん仲良しの友達に「いつもコンビなんだぞ」とあらかじめ声をかけていました。ボートに乗るときに重松さんは友達と2人で乗ることができましたが、一人の友達は余ってしまいました。その友達は岸辺のベンチに座って重松さんたちに手を振っていました。その姿を見て重松さんは「負けたなー」と思ったというのです。なぜ、「負けた」と感じたのかについては、「30分もベンチに座っていられない」、「自分が余ったことにウジウジ落ち込んだりせず、周りの人のことを考えてるから」、「自分よりも心が強いと思ったから」などの考えが出されました。
 また、文末にある「余りの一人を分かち合えればいい」という重松さんの言葉の意味については、「余ってしまった人の気持ちを考える」、「ありがとうの気持ちを持つ」、「交代する」などの考えが出されました
 「たまたま一人になったことで、自分はみんなから嫌われているのかもとか、私には友達がいないからっていうふうに思い込んではだめ」とは重松さんからのアドバイスです。

0 件のコメント:

コメントを投稿